昭和42年01月07日 朝の御理解



 どんな場合でも、動じないで済む信心。どんな場合でも迷わずに済む信心。動じず迷わず、唯、神様のお働きを信じきっての生活、そういう、録音カット今日も万事万端の上にご都合、お繰り合わせを頂いて、おかげを頂き有り難い一日でありたいと、願わん者はありますまい。どうぞ、今日も万事万端の上にご都合、お繰り合わせを頂かなければならん。そして今日も広大なおかげの中に、事実おかげを頂きまして、有り難う御座いますと、一日を締めくくらせて頂けれるおかげを頂きたいと思う。
 それには矢張り、それだけの信心がなされなければならない。又神様に拍手してお願いしておれば良しと、どうぞ今日も万事万端、ご都合お繰り合わせを頂きます様にと、こういかに繰り返し、よし千遍繰り返し繰り返し願われた所で、願うたからというておかげは頂けれるもんじゃない。それには、私共が何事にも信心にならせて頂こうとする願いを持たなければならん。
 何事にも信心にならせて下さり、何事にも信心にならせて貰おうと願う所に、何事の上にもスムーズな、万事万端の上に、ご都合お繰り合わせが頂けれるのです。ここん所を、私はおかげを頂かずして、ただ万事万端の上に、どうぞよろしくと言うただけじゃおかげが頂けれるなら、信心も大した事ないと思う。それだけでもしおかげを下さる、神様やら仏様がもし御座るとするなら、それはちょっと、私は可笑しな神様だと思う。今日私ご神前に出らせて頂きましたら、ただ今私が申しました様な事をです。
 教えて下さろうとするのであろうと思われる様な事を頂いた。始まりにあの、誰かがお茶をしておられる。お茶の手前をしておられる。そして、そのお茶の手前が最後まで綺麗に、一通りの事が終わった所である。どこん所を手を抜いても、そのスムーズさというのは生まれて来ない。けれども初めからそれが出来るとは思われん。矢張りお茶が、気持ちの良い程に、お茶をする者も、又そこに同席しておる者も、お茶というものは良いもんだなぁと、お茶をさせて頂いとる者も、そこに一緒におる者も、そういう( ? )気分に浸られる為には、矢張り稽古が必要。
 一つ一つの、ちゃんとその約束がある。その約束である所の手前がなされて行かなければ、先には進まれない。所が初めの間は、こうして、あぁしてという風に習っておるんですけれども、それをうっかり忘れる。だから思いだし思いだし、又は注意を受けながら、あ、そこはそうじゃないですよと。そこんところはこうですよと。例えばなら師匠に教えて貰うて、それを自分のものに一通り、形だけでも自分のものに致しますと、それから先はです、もうひと事でも手を抜いたら先に進まれん。
 もし忘れておったりしたら、やっぱそこん所をなして行かなければ、そのお茶にならない。それが流れる様にスムーズにその行く所にです私はお茶のあの気分というものが味わえるんだと。是はもう自他共にである。私はお道の信心を頂いて万事万端の上にご都合、お繰り合わせ頂きます様にと、願わせて貰うがその願わせて貰う万事万端の上にお都合、お繰り合わせを頂く為の私はそうした道を教えて下さるんだと。
 教えとはそれだと思う。私共がそうした、日々の信心生活がです、ね、信心生活が出来なければです、前さえには進まれん。教えに基づいた生き方をしなければ、前には進まれん。例えばお食事をさせて頂くのに、拍手してから、神様頂きますと、中には、いわゆる食物訓を唱えてそれを頂く事に決めておればです、どんなに忙しかってもやっぱり拍手せにゃやっぱ頂けんです。忘れとった、ちょっと置いてから、矢張り拍手しなければ気持ちが悪い。形の上に置いても。
 朝の御祈念をきちっと、例えば御祈念をさせて頂く、ておればです。もう今夜休む、休むというて休ませて頂いて、御祈念もせんなり休ませて頂いて、やっぱり気持ちが引っ掛るから又下りて来てから御祈念をする。せにゃ前には進む、もう眠られんそれが御祈念もしない。お食事の時に拍手もしない。それでも平気であるとするならば、あなたは信心頂いておるとは言えない。そう云う事でです、例えばおかげを頂こうというのは、あまりにも虫が良過ぎる。お道の信心はそれなん。
 話を聞いて助かるとおっしゃるのは、話を聞くとそう云う事を教えて頂くのだ。その、そういう道を行じずしておかげだけをスムーズに、万事に、万端の上にお都合、おくりあわせをお願い致しますというのでは、虫が良すぎる事が分かるでしょうが皆さん。是は形の事。今の食物の事だって、御祈念をするという事だって、是はもう本当形のこと。もう一時が万事に心の上の事から、というてなら、信心しよりゃ腹を立てる事も出来んか。嘘を云う事も出来んか。
 はぁ、こりゃまぁ極端な話ですけれど、そりゃ嘘は言わんが良いです。けれども場合によっちゃ嘘も言わなきゃいけないでしょうが。今日も私はある方に、そう云う事を伝えさせて頂いた。商売でもさせて貰いよるとです、はぁこげな嘘を言うちゃいけんけれども、まぁいわにゃならん時がある。月末にお払いしますけんで。なぁん当もなんもない。そういわにゃそこば通り抜けられんのだもの。だから神様にお願いをして嘘を言わして貰う。 月末になった。
 そこでその、何日前かに言うた嘘が、嘘が真になる様なおかげを頂きなさいという事が、次の御教えなのだ。ただ嘘ば言いなさいだけじゃなかもん。そこば何とか、かんとかやり抜けていきゃ良いというのじゃないもん。次には嘘が真になる様なおかげを受けなさい。一週間後なら、一週間後にお払いいたします。一週間後には万事万端な上にお都合、お繰り合わせを頂いて、それが支払いが出来る様なおかげを頂いた時にです、もうそれは嘘じゃ、嘘が嘘じゃないって。
 そうでしょうが。そこで、なら嘘が真になる様な、おかげを頂く道というものを、矢張り体得しなければならんと、云う事が分かるじゃないですか。嘘が真になる様なおかげを頂く為に、私共はいわゆる、今日私が申します様に、何事にも信心にならせて頂かなければならんと云う事。それは、お茶の手前をする様なもの。次にね、誰かがバイオリンを弾いておる。こう首の下にあのバイオリンのこう巻くですね。
 そして、こう言う風な、まぁ格好でこうバイオリンを弾きますよ。こりゃもう成る程、もうきちっとしたバイオリンを持つとああいう風に持たんなんだろう。弾く時にああいう風にせんなんだろう、私バイオリンというものをその弾いた事が無いから分からんですけれども、まぁこんな格好で、まぁ一生懸命弾いとるけれどもです、それ唯その無茶苦茶に、こうやって弾いておるというだけ。
 形は出来ておるけれども、その良い音色が出ておるとは思われない、弾き方をしておる様な所を、今朝のお知らせに頂くんです。お互いの信心がこう言う様な事じゃなかろうか、と私は思うです。朝参りでもさせて頂いとりゃもう、一角の信者のごと思うとる。いわゆるバイオリンだけはこう持って、こうやってるの、弾いておるのと同じ事。ジャンジャン、ジャンジャンいいよる。
 けれども是では、自分も楽しゅうないなら、人も又迷惑なんです。家の家内が朝早から、椛目に参る。ご飯の用意もせんならん。親父が起きらんならん。子供が起きらんなん。お母さんが参りよらんなら本当もう都合良いけれども、そういう迷惑になって来る様な事じゃいかん。お母さんが朝参って貰うから、お母さんが朝参って貰うから、私達はこういうおかげを頂いて、朝早起き位して。私達がご飯でも炊かせて貰わなければ、いや参ってこい俺が後はしとくからと、例えば主人が言うてくれれる位のおかげは受けにゃ詰らん。参るがたないち、それじゃ。
 人に凝りを積ませる様な事では。参って貰えりゃ、参って貰えるがたあるから、誰かお参りさせて貰わなければ。お参りする事が人に迷惑をかけておる様な事ではいかん。皆さんどうでしょうか。成程まだ、ただ今稽古中ですから。という間は、こりゃ仕方がないですよ。初めから、いわばならバイオリンを弾き切る人はおらん。まず形の所から、やっぱりその、その為には先ず一つ音譜をよく覚えさせて貰わなきゃ、その音譜を見ながら、しかもぎこちない手付きで。
 それをこうやって弾いて、上をまぁ抑えたり。何ちいうでしょうかね、三味線の事ならよく分かってるですけど、それならそれを抑えて行かなければ、その一つのまぁハトポッポ一つでもならん。ここんところを、お互いが体得しようとする、覚え様とする願いを持たなきゃいかん。一つの曲なら一つの曲が、弾きこなせれる様になる為に、はぁ信心ちゃよかもんだなぁと。
 ほん、成程音楽というものは、良いもんだなぁと、それに自分も弾きとれ、人も弾きとれてよいなという思いに浸らせて頂けれる様な、信心ちゃ有り難いもんじゃなぁと。自分も人も信心ちゃやっぱり有り難いもんじゃあるばいと。成程神様じゃなぁと。合楽の、あの御造営の半ばである、初めの間は、とてもこげん広びろの所に金光様が建ちなさるげな。まぁあちらの人達も笑いよった。それこそ本当に、笑われる様に一番に住宅の方が建ちましたからね。あぁでもう本当に。
 まぁ貧弱な事でしたか。それが段々、段々あれが、これが出来て参りましたらです、ある人がやっぱり神様じゃなぁっち言うてからその、感心しておったという話を出番の人が帰って来て話しておりました。段々、段々あれが出来てまいりましたら、成程やっぱり神様じゃなぁと。とても普通じゃあげな事は出来んという事なんです。皆さんの信心でもそうなんです。初めの間は笑う者もあろう。
 けれどもあれが辛抱強う参りよったら、成程信心じゃなぁ。成程神様じゃなぁと言われる様なおかげを頂く為にはです、お茶の稽古をする様に、音楽の稽古をする様に、どの人手前を抜かしても、前には進まれんと云う位な信心。唯、形だけが出来て、言わばピーコラピーコラ弾くだけじゃ詰らん。それが例えていうなら、是は名曲と言われる様な曲でも、自由自在に弾きこなせれる様になった時にです。
 私だけではない、人も、それこそ自他共にそれに聞きとれさせて貰える様な、おかげを頂かせて貰わなければ、神様に対して相済まん。金光大神に対して相済まん。一生懸命にその事を説いて下さる先生に対しても相済まん。じゃないでしょうか皆さん。ただ金光様、金光様言う事だけ覚えた。拝む事だけは、よく拝む道を覚えた。毎日参りよりますというだけではです、それでは自分も大した事はない。人にまでもそれを伝えて行くと云う事が出来ない。
 皆がおかげを頂くならばです、本当に私が先程申しますう様に、人間ですから、また場合によってはです、あぁもしちゃならん、こうもしちゃならんという窮屈なもんじゃない、何事にも信心になれよ、と仰る事は。何事にも信心になれよと云う事は、難しい事じゃない、けれども一通りは覚えなければならん。お茶というものが難しいもんではない。それを、とても面倒くさか、と言うたらそれまでなんです。本気でお茶を習う気になりゃ、難しいもんじゃない。誰でも覚え様と思や覚えられる。それが信心なんです。それを信心とは参る事だ、拝む事だ、の様な事に留まってしまってです。
 お願いしときゃ、もうそれでよいごたる思い方ではです、何時まで経っても信心を、いわゆる自分のものにする事は出来ない。信心を頂く事は出来ない。何事の上にも信心にならにゃいかんのです。この事だけには信心になるけれども、この事には信心にはなれないという事はあっちゃならんです。どうでしょうか、この事には信心になっとるけれども、この事だけには信心になっていない、それではおかげの頂けれる筈がないです。何事にも信心にならせて貰う。
 そこから私はスムーズなです、それこそお茶の手前をする様な、流れる様な、万事万端の上にお都合、お繰り合わせが頂けて、今日も成程信心頂いておるおかげでと云う様なおかげが頂けて来るのじゃないか、と私はそう確信する。皆さんどうぞ、バイオリンの持ち方を覚えただけではいけません。ただそれをピーコラピーコラと弾くだではいけません。そこから流れ出て来る所の、もうそれこそ妙成るまでの音色というものをです、聞き取らせて頂けれる事を楽しみに、信心せにゃいけません。
  私は今朝その二言を頂いた。お茶の手前をする人が、一事、例えば手を抜いたら、もう先には進まれない、私共が信心にならせて、頂かにゃならんというのだけれども、自分が信心になってなかったら、前に進む事はいらん。ちょこっとは足踏み状態しながら信心を訂正しながら、改めながら先に進んで行く所の、私は言わば、信心の稽古をさせて貰う時にはです。少しはそこにぎこちないものがありますけれども、それを自分のものにする為にそこん所を稽古していかなければいけない。
 そこにはです、金銭の上にも、健康の上にも、どんなにこんがらがっておった、人間関係の上にもです、それがスムーズなおかげの中に解決のおかげを頂き、全快のおかげを頂き、万事万端のご都合、お繰り合わせの頂けれる、おかげが頂けれるのです。どうぞ万事万端よろしくお願いします、おかげ頂かせて下さいと。言うだけではいけない。そりゃそんなもんじゃ実はないのですけども、いうならば、お茶の稽古をする様なもの。言わば音楽の稽古をする様なもの。
 稽古させて頂きよりゃ、それがいよいよ自分のものになる。そこに信心の楽しみがある。自分だけが楽しむのじゃない、自分だけが悦に入っておるのじゃない、人も楽しい。人も成程、成程神様じゃなぁと云う様な風にです、言わば成就して行くんです。初めの間は本当笑いよった人達がです、段々段々それを見直して来る。成程信心じゃなぁ、神様じゃなぁ。成程あぁいうおかげが頂けれるんだ、と云う事をです、頂いて行かなければ、人はついちゃ来んです。
 もちろん、それに幸せが付いて来る筈も、もちろんありませんよね。けれども、私一生です、そこん所を分からずに、ただお願いをしたり、お参りをしたり成程、まぁいうなら、金光大神のその、お徳によっておかげを受けますけれども、それでは大した事はない。本当に信心は楽しませて貰うと云う事。いわゆる信心を、まぁエンジョイすると云う様な言葉を申しますですね、最近。生活をエンジョイする。
 信心を楽しませて頂きながら、誰にもそれを認めて貰ながら、信心の稽古をさせて頂かなきゃいけません。そこに初めて万事万端のご都合、お繰り合わせを願うという事は、万事万端の上に、私共は心して信心にならせて頂く稽古をさせて貰う。おかげを頂いて。今日も又万事万端の上にお都合、お繰り合わせのい中に、今日一日を過ごさせて頂く事が出来ましたと。そこの出来あがりの素晴らしさをです。
 人が見ておったら、こりゃ信心せにゃ馬鹿らしかというごとなって来るですよ。そこに私は金光大神も喜んで下さる、神様も喜んで下さる、おかげを受けて行く者も、有り難いという事のおかげになって来るんじゃないかと思う。一つ本気で今日はです、万事万端の上にスムースなのおかげの頂けれる為にもです、どんな些細な事にでも、信心にならせて頂くという事に焦点を置いて、今日一日をおかげ頂きたいと思うです。  
   どうぞ。